おしゃべりのようなもの

記録と記憶です。

French Circus Focus 2021 フランス×日本 現代サーカス交流プロジェクト 『フィアース5』

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フィアース5

フィアース5を観て数日経つ今も、未だ興奮と余韻が消えない。

それほど衝撃的で、幸せで、人生を変えてしまうような作品に出会えた。

 

今回の公演は、日本の若いサーカスアーティストと、フランスのサーカスカンパニー「カンパニー・ルーブリエ」の演出家ラファエル・ボワテルさん(さん、をつけたい!実際のお人柄を知り、とてもチャーミングで可愛らしい方で、日本が大好きと言ってくださって嬉しかった!愛を込めて。)による作品で、日本の諺「七転び八起き」をモチーフにされたもの。壁にぶちあたっても、人と人との関わりにより何度でも立ち上がる「不屈の精神」が描かれている。

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これまで私は、目黒さん演出の現代サーカスをいくつか(たったいくつか!)を観てきた。彼の作品が好きで、現代サーカスの世界に魅了された。作品が伝えるエモーション、あてがきされた美しい音楽の数々、私自身の心に残る問い・・・。輝かしくてきらびやかだけではないその奥行きに、こんなに素敵な世界があるのかと衝撃を受けた。

そんな目黒さんが「好きすぎて全公演見た」というラファエルさんの作品。そして目黒さん本人も出演する。こんな作品が、今この日本で、公演が実現するなんて。その時間軸に自分が存在できた奇跡、そして、パンデミックの最中に、公演が実現したそのことだけでも涙が出てしまうほどの喜びでした・・・。

 

作品についてはどこからどう感動を語ればいいのか。

冒頭、舞台の中央手前に置かれたひとつの照明(電球)に観客の視点が誘導され、暗闇に慣れない視界の中ヴァイオリンの音色が響く。アーティストの歩く気配。ここはサーカス小屋。さあ、舞台の幕が開ける。

音楽(歌劇「椿姫」第1幕前奏曲)に合わせて、アーティストたちは自分たちのパフォーマンスのウォーミングアップを始めるかのように動き回る。ダンス、エアリアル、アクロバット、ジャグリング、綱渡りなどさまざまなパフォーマンスを得意とする人たちが舞台にいる。

 

まずは、綱渡り。ラファエルさんのお話によると、健斗さんはこの演目に向けておよそ5ヶ月でタイトロープ(ピンと張った状態の綱を使用した綱渡り)を習得したという。そのことを知らないにしても、驚くほど素晴らしいものを見せられているのが分かる。不安定な足場(それも、公演はじまってからテクニカル(黒い洋服)の方々と演者がセッティングしたんだよねえ・・・というそれも衝撃。)で、慎重に綱を渡る、落ちそうになる(演技。演技でできるのは高い技術があるからだなあと驚く。)、アクロバティックな回転、脱げるズボン(笑)、どれもこれも素晴らしかった。それと共に、杉本峻さんのなんとコメディーなこと!身振り手振り、表情…2階席からでは見えないはずなのに、手にとるようにどんな顔をしているか分かるようだった!(杉本さんは、アクロバットエアリアル(幅広の紐)のパフォーマーであると同時に、マイムの担当でもあるのかなと、勝手に思いました。素敵だった。)

杉本峻さんが作り出す雰囲気と健斗さんの綱渡りに釘付けになり、そして笑った!無音の中で繰り広げられる世界(音楽がないのも良かった)。ズボンを失いシャツの裾を直してお腹を隠す健斗さんに、徐に自分の白いズボンをあげる目黒さん(あなたもパンツ一丁になるのね笑)。そこで急に、クールでロックな明るい曲(Le Brio/Big Soul)が流れて、踊り狂うフィアース5!(と、テクニカルの2人!このシーンだったかな、安本亜佐美さんがロープにぶら下がるのがかっこよかった!)健斗さんの綱渡りを煽る!盛り上げる!手拍子したい気持ちを我慢した。このシーン、すごく好きです。そして、目黒さんが綱を緩めているのに、綱に乗ったままの健斗さん、凄かったなあ。

(…こうやって1シーンずつ書いていくと、キリがない気がしてきました笑)

 

ロックにキメた膝立ちポーズのあとは、健斗さんが苦しむ。真面目さゆえなのか、強迫観念なのか、もっともっと、と高きを仰ぐ。身体が止められない。綱の上に存在できない今、バク転をするように体を動かす。周りには応援される。そして、もうやめなよと心配もされる。常に命の危険と隣り合わせの極限状態で技を極めるアーティストに、その場所(綱)をおりた今も心が休まる暇などあるのだろうか・・・。見ていて苦しくなる。

そして、重く響く音に乗せた愛実さんのエアリアルシーン。最初はほとんど暗闇で、愛実さんの姿は銀色に輝くリングと共に照明の加減によってちらりちらりとしか見えない(特に2階席からはそのように見えた)。少し照明が明るくなり愛実さんが何をしているか見えるようになる。愛実さんはリングを扱うときは自然でいられるのに、道具から離れると動きが不自然になってしまう。椅子に座ろうとすると、座り方もわからなくなる。どうするのが自然なのか、道具を降りるとわからない。サーカスをしていることが常で、それが日常。椅子に座る、そんな簡単なことさえ忘れてしまうほどアーティストはサーカス一色の生活をしているんだなと、思わされる。

そんな愛実さんが椅子からリングに飛び乗るシーン!!ここの美しさが忘れられない。伸びやかな脚。リングに乗るとその身体は自由で、自然で、伸びやかで、息をしていた。綺麗に開脚しリングにぶら下がる姿。本当に印象的でそれだけで美しくて泣きそうになる。あんなに「静」の姿だけで魅せられるのは凄いなあ。

リングの上では激しくもがいたり、回転したりと高度な技の数々もあった。健斗さんのシーンでもそうだけれど、それぞれのアーティストの皆さんの技術が高いからこそ、困難や試練、美や調和、成果を、技を持って表現できていると強く感じたし、強迫観念などの精神的な追い込まれ具合(ある意味での恐怖)を強烈に伝えてくれているんだと思う。

そういう意味では、見ていて少し恐さを感じるサイコパス感は、目黒さんのジャグラーとしてのキャラクターに強く現れていたと思う。まゆむさんの腕や手に興味を示し、ジャグリングをしたい衝動を止められない(人としてのまゆむさんには興味すら示さない)。モノへの興味や好奇心は、モノを扱うパフォーマーであるジャグラーらしいキャラクターそのものだった。モノの動きって楽しい!こうすれば落ちるんだ!投げれば動くんだ!…純粋無垢なモノへの興味ゆえに、まゆむさんを扱った後にボールを得た彼が、まゆむさんをぽいっと捨てるシーンは印象的。その後に椅子をこめかみでストールするシーンや、みんなで椅子に座っている(影が印象的な)シーンで他の人たちがチュッチュしながら色めきだつ中、みんなの腕や椅子の移動の虜になっているシーン、そして、健斗さんがもがき苦しむ2回目のシーンでは、苦しむ健斗さんを気にも止めず、自身の手をマジマジと見つめていたりなど、そのモノへの集中や執着は、アーティスト特有の孤高を持するその姿を描き出していたように思う。(あくまで個人の感想です)

ボールジャグリングソロシーンでもそれは伝わってきて、みんなでパウダーまみれになってラ・カンパネラ(ピアノver.)の演奏に乗せてユニゾンで前に後ろにおっとっと、と踊るシーン(私はここがすごく好きです。そして、目黒さんがあんなに綺麗な開脚をするなんて驚きました…!)の後に、5ボールから徐々にボールが減っていってもジャグリングをやり続ける姿は、周りの応援なども聞こえていない様子で、ただボールだけに集中している。途切れる自分の荒い息にすら気がつかず、見ているこちらに「ああ、ボールを手にしたら死ぬまで投げているんだろうな…」と、やはり一種の恐怖を感じさせた。そして、あまりに当たり前に投げるから忘れてしまいそうになるけれど、ボールを落とさない正確性や技術があるからこそ、あのシーンは成り立っているなあと思う。あと、どちらかといえば冷静で常に周りを把握して空間を扱うジャグラー(と私は感じる)の目黒さんが、ああいったサイコな一面を舞台で出すのは、役柄もあるけれど、何か普段は見せていない部分、裏(内)の目黒さんに出会えたような気がして面白かった。ラファエルさんがポストトークで言っていた「アーティストがキャラクターを自分のものにしていった」というのがよく当てはまるように感じる。キャラクターを自分に当てはめていくのか、自分がキャラクターに憑依していくのか・・・全身全霊をかけて創作に打ち込んだからこその、あのキャラクターと思う。物凄く、良かった。

 

その後のシーンからは、杉本さんのアクロバットソロのシーンで、幅広の紐に片手でぶら下がり空間をぐるりと回る姿が、とてもダイナミックで美しかった。その中心に椅子が並んだり、周りではそれぞれのアーティストが自身の技をやっていたり。なんとなく杉本さんの幅広の紐の動きそのものがサーカスのテントのようにも見えてきて、面白かった。杉本さんのアクロバットエアリアル)は、力強くて圧巻で、あのユニークな雰囲気はどこへ!?と思うようなかっこよさ!でも明るいキャラクターはそのままで、その明るさゆえ、もっともっとと言われるがまま、期待を受ければどこまでも高度な技をおこなってしまう様子も印象的だった。杉本さんの高い身体能力と日本人離れした雰囲気(表情)。どちらも本当に魅力的で、唯一無二な存在感だった。これからもさまざまな作品で杉本さんをを見たいと思ったし、魅せて欲しいと思った。3日目の最後にサーカス伝統衣装を着るシーンで「っしゃ!」と声が漏れていたとき、杉本さんはこの作品のキャラクターそのもののアーティストで、素敵な舞台人なのだなあと思った。素敵な人だと思いました。

 

(どんどん感想が長くなり、収集がつかなくなってきました。すみません・・・。)

 

椅子にみんなで座って、影が映し出されるシーン。

ここは、2階席から見ると最高の眺めで影が本当に美しい。昔のフィルム映画を見ているようだった。その理由は、なんと1階席で観たときに判明して、安本さんの照明テクニックが重要だった。光の量を音楽(ワルツ第6番 変ニ長調op.64-1 /ショパン:トレーラーの曲!)にきちんと合わせてカチカチと細やかに調節している。これに気づいたとき、あぁ、なんて幸せなんだろうと思った(笑)影は綺麗だし、照明は綺麗。それはもう幕が開けたときから感じていたけれど、こういった細やかな演出やテクニカルな技術は、私が知る由もないレベルで方々で繰り広げられていたんだろうし、そういった小さな何かの結晶が集結して、今目の前で見ている作品が感動として私に襲ってきているんだな・・・って。そう思ったら、幸福でした(情緒大丈夫かな、私…笑)。

 

(気持ちが高まって感想が盛り上がりすぎているような気がするので、おかしな部分があれば後に追記・修正したいと思います。今はこのような熱量で申し訳ありません。)

 

最後に、やはり一番心を打たれたシーンについて書きたいと思う。

まゆむさんがロープにつられて5人で支えられるシーン。ラファエルさんのいう「スパイダー」の場面。「スパイダーは、人生におけるメタファー(隠喩)」と言っていた通り。壁にぶちあたり、立てないほどの苦しみ。立とうとしても誰かに何かに、足を引っ張られてしまう、取られてしまう。手を差し伸べてくれる人はいる。応援にすがろうとしてもすがれない。応援なのにときには攻撃に感じる。だんだんと相手の言葉が聞こえなくなる…。そんな強烈な苦しみと、もがく姿。高く上がった場所からのまゆむさんの叫びは、人間の心の叫びだった。私も苦しくて泣いた。

下でまゆむさんを釣り上げるアーティストの皆さんも、とっくに体力は消耗し、腕の力も脚の力も極限まで来ているはず。余裕のある人なんていない。それでも紐を絶対に離さない。力が強くかかる部分を支えるときには、より、力を込め、体制を整え、まゆむさんを支える。まゆむさんも疲れ果てているはずだけれど、最後は鉄骨を掴み、移動し、ぶら下がる。音楽が切れるまで手は離さない。音とともに、琴切れる。…クライマックス(と私は思うのだけど)で、ここまで身体の極限を魅せる演出に、感動と恐ろしさすら感じた。本当に、サーカスでしか表現できない人生の姿があるとこのシーンを見て思った。

 

そして最後は伝統サーカスの衣装を手にし、皆さんが衣装を身に纏う。「はやくー!」の山本さんの声にはとっても癒された!

そして、砂の袋がつるさげられ、安本さんの手によって(コントロールすごい)旋回する。大きな砂時計に見えた。人生の砂時計が、落ち始めた。スタートの瞬間。(伝統サーカスをイメージしているらしい。なるほど。)

フィアースの5人が並ぶ。影が大きく映し出される。前に歩む5人。手を繋ぐ。フィアース5の幕は閉じるのだけれど、これは紛れもなく「幕開け」のシーンだった。

 

 

今回、若くて高い技術を持ったアーティストの皆さんが、ラファエルさんとともに今この時代にフィアース5日本版を作り上げた。水面下で動いているときから、オンラインでのオーディションであったり、来日後の隔離期間があったりなど創作は難しいものになったとおしゃっていた。パンデミックが世界的に起きている今、私のような人間でも生きることが困難でただ生きているだけで難しいことがたくさん起こるが、アーティストの方々によってはより大変な状況だったと思う。

そう言った現代でフィアース5が上演されたこと。フィアース5のもつ「不屈の精神」は大きな感動と希望と喜びをくれた。人生の壁に直面しても何度でも挑戦したいし、人と人との交流は諦めたくないと、私も強く思う。

 

これまでの人生の、鍛錬、成果、更なる練習、技術をみせてくださったアーティストの皆さん、ありがとうございました。そして、日本に来てくださったラファエルさん、ジュリエッタさん。吉田さんをはじめとした多くのアシスタントや関係者の皆さまに感謝の気持ちです。

とても楽しい公演だった。無事に終わってよかったと思います。