世界は、わたしのものだと 私は思う。
今回私は金曜日の初日に1回だけ観劇した。
1回だけでは足りなかったと思う。
見始めて思ったのは「ダンス公演のようにも思えるなぁ」だった。私の感度が落ちているのかもしれない。
ただ、とにかく暗く重くて、このまま救いがなかったらどうしようかと思っていた。(杏奈さんの最後の踊りに救われた。舞台を超えてきてくれてよかった)
見ていると苦しい。そして、続く技の数々。宏次郎さん、素敵だなぁ。
宏次郎さんとあこさんは、たまにどちらがどちらかわからなくなる。それがたまらなく怖くて、恐ろしさを覚えた。
みんな、ままならない。そして抗っている。ままならないのは誰で、抗っているのはどっちで、あいまいなまま、正解のないまま、世界は形をどんどん変えていく。
「孤独だよ」
そんな声が聞こえる気がする。
杏奈さんと目黒さんと比べ、どこか幼く見える宏次郎さんとあこさん。幼少期…そうも思えた。
ずっと見ていると、なんとなく「もしかして、死にたいのだろうか」と思えてしまった。縄が出てきて、いよいよそうなのだと思った。…だとしたら、創作や作品があって良かった。私は、死なないでほしい。もっとその暗闇を、見せてほしい。
着いて(観に)行くので。
(でもそう感じるということは、死にたいのはわたしなのかもしれない。鏡。)
私は、世界は私のものだと強く思っている。
というより、世界は広いけど、私が触れることのできる世界は、私の皮膚からほんの数ミリだと思うから。皮膚の柔らかい部分が擦れるほど、私の世界に入れるのは数少ない人だけ。そしてその中核にいるのは私だけ。
私の世界にいつもいるのは、私だけなのだ。誰だってそう。
嫌いな人がいる。もう元には戻らない。
好きな人がいる。失えばもう元には戻れない。
紙一重の人々、世界にはわたし、いつもひとりだけ。
遠くで鳴るピアノ。(今回のイーガルさんの曲は、ながめくらしつらしい音楽と演者がお互い関わり合う感じが薄く、伴奏…というより、別の世界にひとりいるようだった。隣人。寄り添わない、どこからか、聴こえるピアノ。)
一回の観劇では足りなかった。でも、私の心には問いが生まれた。やっぱり今回も、とても現代サーカスだった。
暗闇が優しいと思った。