「…の手触り」〜日常の手触り〜の配信を無事に観終えました。3作品全てが、ひと段落、ですね。とても好きな作品が、静岡で生まれたんだなぁと改めて思いました。(生まれたのはCouCouかもしれない笑)
配信作品のいちばんはじめ、ボールキャッチで外部音が消えるところ、すごく好きでした。そして、映像ならではの視点の移り変わりや、近距離で見られるジャグリング、ピアニストのおふたりの表情も、素敵だったな…!自分で生で見ているときとは違う場所が映ると、配信作品の良さを感じます。
あと、配信作品でも座席が置いていることに「日常」を感じました。
私がはじめてながめくらしつをみたのは、「心を置いてとんでゆく」の限定配信で(いや、YouTubeで「君がしじまに」とか「距離の呼吸」のダイジェストはみてたかも?)、はじめて作品を観たとき、音楽とパフォーマンスが対等で、こんなに不思議で綺麗なものが世の中にあったんだなぁって思いました。この作品をつくった人の頭の中が覗いてみたいなぁって思いました。
そして、ながめくらしつの音楽をつくっている人を知ったとき、この作曲家の音楽をずぅっと先まで残していかなきゃって思いました。残って欲しい、知ってほしいって思いました。
そうして、いつか生で観たいと思ったながめくらしつの作品を、この情勢下に静岡でみられることになった…、それが「…の手触り」〜昨日の手触り〜でした。
”現代サーカスには「問い」がある。”
〜昨日の手触り〜、〜こころの手触り〜、〜日常の手触り〜 この3作品を沼津ラクーンと映像作品で見届けて、私の中に残った「問い」は、
「私にとって大切なものはなんだろう?」です。
現代の「触れられない」日々の中で、「なにか…の手触り」を無くして、探して、求めたこの1年。いのちを奪われないよう必死に生きる中で、私にとっての大切なものを常に考えてきました。そして今も、考え続けています。
丁寧に投げ、並べるボールのように、私が丁寧に触れたいモノってなんだろう?
触れられない、目に見えない音のように、私が大切にしたいモノってなんだろう。
この3作品は、演者同士が一度も触れ合いません。
触れられないモノの手触りってどんなでしょう?
そして、まだ触れたことないその手触りは、いったいどんなですか…?
自分にとってはじめてのものやわからないものを観ること、「問い」のある作品を観ること、観た後に残る不思議な感覚。それらすべてが、大人だけでなく、こどもや、さまざまな方の目に届く機会があればいいなぁと強く強く思います。そのきっかけとして、この…の手触りシリーズが多くの方に届いたらいいなぁ。
音声ガイド版のこころの手触りも含め、3作品、すべて好きでした。大切な作品です。
こんなふうに、自分の好きなものについて語るとき、自分の熱量に迷ってしまいますが、結局は、好きなもののことは、好きとしか言えず、きれいは、きれい。すきは、すき。なんだと思います。
私のすきが、これから先もずっとこの世界に残り続けますように。
昨日の手触り
こころの手触り
*音声ガイド版
日常の手触り
「〜の手触り」シリーズ、感想もひと段落です。
最後は、思い出回想みたいな感想になってしまいましたが、かけてよかったです。
3作品に関わったすべての皆さま、ありがとうございました。